週末、久しぶりに新城の実家に帰っていました。
今住んでいる田原(渥美)の景色は海ですが、新城(鳳来)は山。
道中いくつもの紅葉が見られました。
何百回(何千回かも)と通った道のはずなのに、
「こんなにきれいだったかな?」
「こんな場所あったんだ!」
と思うほど素晴らしく、つい車を降りて見とれてしまいました。
ほかの場所にも自然のままのもみじが点々としていて。
結婚して実家を離れて7年半になりますが、今更ながら懐かしいような、もうここは日常の場所じゃないような、何ともいえないさみしさを覚えました。
香嵐渓のような紅葉の絶景スポットも素敵だけど、私はこういう何気ない景色の方が好きです。
毎日車でそこを通っていた頃に起こったうれしいこと、かなしいこと、いろんなストーリーが、無意識のうちに思い起こされるからじゃないかな。
だからきっとこれは、自分だけの感覚。
「見えないと始まらない。見ようとしないと始まらない。」
というガリレオガリレイの有名な言葉がありますが、ふと、こんなことを思いました。
意識を向けなければ、誰かには見えていても、自分には見えていなかったりします。
だけど、無意識のなかにちゃんとそれはインプットされていて、まったく別のシチュエーションでそれが意識されるタイミングがある。
同じ話を同じ人から聞いたとき、誰かは感動しても、自分はその話自体を忘れてしまったりします。
けれど、本当に頭の中からその話が消えてしまっているわけじゃなくて、何かの拍子に思い出したり、目の前の出来事と結びついてきたりする。
ということは、いつも私たちは「自分が」見たいもの、聴きたいことしか意識していない、つまり自分に都合のいい解釈しかできないのですね。
そういうものと納得できれば、他人と自分がどれほど違う感覚をもっているかが想像できるんじゃないかな。
もちろん、それが親子や夫婦であっても。
まさに、十人十色。
だから自分が好きものは好き、自分が嫌なものは嫌。
とってもシンプルなこと、そしてそれでいいはず。
だれからも共感されなくても、SNSで「いいね!」がもらえなくても、「私はこう思う」と自信をもってみんなが言えれば、きっと、もっと楽に生きられると思うのです。
きのうは満月でしたね。
今朝の5時すぎ、まだ真っ暗で、眩しいほどのお月さま。
朝の月って、不思議な感覚的になります。
0コメント