今朝主人が体長5センチくらいのクワガタを見つけたので、さっそく虫かごに入れました。
娘はかごの中で動かないクワガタをみて、
「うごけーーー!!!」
と言いながら虫かごを振っていました…
初めての本物のクワガタに興味深々な様子。
子供たちはこういう日常からたくさんのことを学ぶのでしょう。
さて、また書籍のご紹介をしたいと思います。
読む人によってはすでに当たり前のことなのかもしれませんが、
自分の中でもやもやしていたものを吹き飛ばしてくれたような感覚になった本です。
この方の一つ一つの言葉に本当に共感しました。
一人ひとりの市民がもっともっと、自分なりに本質を見通すことができる澄んだ目を持ち、フラットに物事を判断できるようになれたらいいのに、と常々思っています。
というより、まず僕自身がそういう人間でありたいと強く願いながら、これまでたくさんの書物に触れ、素晴らしい人々と出会い、さまざまな場所を旅することで人生をまなんできました。(「はじめに」より抜粋)
私自身、受験のための勉強はした経験はありますが、
「きちんと自分の頭で考えた」といえる勉強、
著者の言う、「ラディカルな視点で物事をみること」
はできていなかったと思っています。
私は今まで自分が物事を判断するための絶対的な勉強量が足りていなかった。
だから友人や近しい人が
「こうだよね」といえば、
「そうなんだ」と思うだけ。
「違うよね」と思っても、
はっきりした根拠を持ち合わせていないし、
意見を合わせておけば楽だから、同調したようなふりをしてみたりして。
そこに自分のはっきりした意見はなかったように思います。
このことはなんとなく頭でわかっていたのだけれど、
この本を読んでやっと、整理ができたんです。
「直感で間違う人はインプットが足りない」
「勉強しないからリテラシーが低い」
「人生はイエス・ノーゲームの繰り返し」
「世の中はすべてトレードオフ」
極めつけは、
「人間はみんなアホであり、チョボチョボである」
すごくスッとしました。
人は本質的に、面倒くさがり屋で、安易なほうに流されて、すぐに怠けてしまう生き物です。同じ失敗を繰り返してもなかなか学習せず、忘れっぽくて、すぐに怠けてしまう生き物です。目先の楽しいことに引きづられて問題を先送りし、後悔を繰り返しています。
(略)
人間はアホな動物です。でも、その前提がわかっていれば、アホである人間が同じ失敗を犯さないよう対策を講じることができます。
(略)
自分のアタマで考え、自分の言葉で意見が述べられるように勉強を重ねる。「人間は考える葦」なのですから、考えることさえ怠らなければ、きっと、より良い未来を作り出すことができる。
(略)
「チョボチョボ」とは「大差ない」「似たり寄ったり」「どっちもどっち」といった意味です。
(略)
肝心なのは、チョボチョボであることを悲観したり、ささやかな差で相手を見下して、つまらない自尊心をあおったりするのではなく、人間はみんながチョボチョボであることを互いに認め合って、それを前提に世の中のルールをつくっていくことなのです。
別にこれまでの自分を否定するつもりはありませんし、自分の人生の選択肢は自分のアタマで考えて判断してきました。
だけど、ラディカルな思考で物事を見たうえで判断したのか?
というと、消極的にならざるを得ません。
だけど、今いろいろな本を読みたいと思う気持ちはたぶん、
「もっと勉強して自分の芯をつくりたい」
「これからどう生きていくかを、自分基準で考えたい」
という思いが強くなっているのだと思います。
それは変化のスピードが速いこの時代に、子供たちにとってのモデルとなるような生き方をしたいから。
子供たちこそ、
自分のアタマで考え、ラディカルな思考で物事を判断していかなければ。
それができればきっと。
子供たち自身が責任を持って選択した、
あなたが何歳でも、いまこの瞬間が一番若い。
一番、勇気づけられた言葉です。
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